医師、そして芸術家。月城の功績を偲ぶ。
松口月城(本名 松口栄太・雅号月城)は、1887(明治20)年4月1日、那珂川市(旧那珂川町)今光に生まれ、1981(昭和56)年7月16日、満94歳で逝去しました。
少年時代の月城は、独学で基礎医学を勉強し、満18歳で医師の資格を取得。
これは当時日本の最若年記録となっています。
その後、開業医として医業に精進し、地域医療に貢献しました。
また、月城は医療の傍ら、漢詩、書道、南画など多彩な才能を発揮しました。
特に吟詠漢詩家としては、我が国の至宝であり、生涯で一万数千首にも及ぶ漢詩を作り、多くの人々の心に感銘を与えました。
月城の偉業を偲ぶと共に、今後の文化発展の礎となることを祈念し、1994(平成6)年4月、松口月城記念館が建設されました。
松口月城さんの略歴
1887 | 明治20年4月1日 | 筑紫郡那珂川町大字今光に父藤又四郎、母トクの二男(栄太)として生まれる | |
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1892 | 明治25年4月 | 5歳 | 安徳尋常小学校入学(現 安徳小学校) |
1896 | 明治29年3月 | 8歳 | 安徳尋常小学校卒業(現 安徳小学校) |
1900 | 明治33年3月 | 12歳 | 井尻尋常高等小学校卒業(現 曰佐小学校) |
1901 | 明治34年3月 | 13歳 | 井尻尋常高等小学校補習科卒業 薬局生として松口家に入る |
1903 | 明治36年4月 | 16歳 | 医術開業前期試験合格 |
1904 | 明治37年6月 | 17歳 | 私立熊本医学校第四期編入(同年12月私立熊本医学専門学校と改称・現 熊本大学医学部) |
1905 | 明治38年4月 | 18歳 | 医術開業後期学説試験合格 |
1905 | 明治38年5月 | 医術開業後期実地試験合格 | |
1906 | 明治38年11月 | 公立若松病院(現 産業医科大学若松病院)に医員として奉職 | |
1906 | 明治39年3月 | 私立熊本医学専門学校別科卒業 | |
1907 | 明治39年10月1日 | 19歳 | 早良郡有田で医術開業 |
1908 | 明治40年1月 | 19歳 | 早良郡有田区自治青年会を組織し、会長となりこの間、 福岡県知事より農村生活改善の功により表彰を受ける |
1911 | 明治41年8月 | 21歳 | 養父 松口主税死亡 |
1911 | 明治44年4月14日 | 24歳 | 松口チヨコと結婚 福岡県嘱託校医(50年間) 早良郡立原尋常小学校(現 福岡市立原小学校)嘱託校医(25年間) |
1916 | 早良郡有田高等小学校嘱託校医(5年間) | ||
1921 | 大正5年2月 | 28歳 | 福岡県早良郡長より青年指導の功績により表彰を受ける |
1922 | 大正10年2月 | 33歳 | 福岡中学校建設その他の功績により、文部大臣より表彰を受ける |
1925 | 大正11年 | 35歳 | 漢詩を志す(宮崎来城、土屋竹雨に師事)この後作詩(長短)一万数千首にも及ぶ |
1947 | 大正14年 | 38歳 | 福岡県早良高等女学校設立に尽力(現 県立福岡講倫館高等学校)その後嘱託校医 |
1947 | 昭和22年 | 60歳 | 福岡市立西福岡中学校設立に尽力 その後13年間嘱託校医 |
1950 | 昭和22年 | 天徳中学校嘱託校医(現 那珂川中学校) | |
1957 | 昭和25年1月 | 62歳 | 岩戸村直営診療所長 |
1958 | 昭和32年 | 70歳 | 西日本新聞社主催の西日本吟詠大会顧問 |
1958 | 昭和33年2月 | 「松口月城吟詩集」第一版刊行 | |
1960 | 昭和33年4月 | 71歳 | 那珂川町直営診療所長 |
1960 | 昭和35年3月 | 72歳 | 同上 退任 那珂川町名誉町民第一号(筑紫耶馬溪に頌徳詩碑を建立) |
1965 | 学校保健衛生の功績により福岡県教育委員長より表彰を受ける | ||
1965 | 昭和40年3月 | 77歳 | 北米日系吟詠団体より北米に関する漢詩作成の要請を受け北米西部を訪問(訪問期間70日) |
1965 | 詩妙『北米の旅』を刊行 | ||
1968 | 九州漢詩同好会を結成、指導者として会員の指導の任に当たる | ||
1969 | 昭和43年1月 | 80歳 | 福岡県教育委員長より父母教師会会長としての功労により表彰を受ける |
1972 | 昭和44年 | 82歳 | 「新体古詩格」を提唱 |
1972 | 昭和47年 | 85歳 | 終戦後、蒋介石総統の軍民布告に感銘を受け作成した漢詩を蒋総統に呈上 これに対し謝状を受ける |
1973 | 昭和48年11月 | 86歳 | 学校保健に尽くした功績により福岡県教育委員長より表彰を受ける |
1974 | 昭和48年11月3日 | 学校医としての功績により勲五等(瑞宝章)に叙せられる | |
1974 | 昭和49年6月 | 87歳 | 国民文化向上に寄与した功績により文部大臣より表彰を受ける |
1975 | 昭和49年11月3日 | 那珂川町より自治功労者として表彰を受ける | |
1977 | 昭和50年 | 88歳 | 公益財団法人 日本吟剣詩舞振興会元老として財団より表彰を受ける |
1975 | 昭和52年 | 90歳 | 西日本新聞創刊100周年記念ハワイ文化交流の旅に講師として招かれる |
1978 | 昭和53年11月 | 91歳 | 漢詩の作詩活動を通じて日本文化の育成向上に尽くした功績により、西日本文化賞を受賞 |
1981 | 昭和56年7月16日 | 94歳 | 死去 |